ペリー来航、そして龍馬の運命やいかに…

さて、僕の坂本龍馬の知識アピールブログも早くも第三弾になりました。
まだまだネタは山程ありますのでもう少しお付き合い願います。
さて、ペリー来航後、江戸での留学期間も終えた龍馬は土佐へと戻りました。
そこで待ってたのは黒船に対しての質問地獄!
土佐のみんなは龍馬の帰りよりもそっちの情報の方が待遠しかったようですね。
そこで龍馬が説明した所やはり江戸人同様みな異国に対しての憤りを感じました。
その頃より、侵略してくる異人共を追い払う『攘夷』という思想が若者達の間に広まりました。
そしてこの時龍馬の話を聞いていた若者の多くが歴史の表舞台へと登ってくるのですが、その中で明治まで行き、天寿をまっとうできたのはナント田中けんすけただ一人!
ほとんどの志士達が幕末の風雲の中に若き命を散らせていったのです。
その後、親友の武市半平太(後の瑞山)は土佐勤王党を作るなど、攘夷への活動を着々と進めて行きますが、龍馬はまだカヤの外、ひたすら剣術修行に明け暮れます。
まだ攘夷だとか幕府を倒すだとかはそこまで深くは考えていなかったようですね。
そんな龍馬に少し考えさせられる、そして長州藩の攘夷志士にとっての衝撃的な事件が起こります。
井伊直弼による吉田松陰の斬首です。
吉田松陰は長州の思想家で、誰よりも日本の将来を愁い、よわりきった幕府のダメっぷりを訴えていた人で、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文など多くの志士達のリーダー的存在であった人ですが、幕府の大老(事実上の最高責任者)であった井伊直弼 により、死罪を命じられたのです。
死の直後、桂、高杉らが泣き崩れている中龍馬はこう思います。
『なぜ誰よりも日本の夜明けを夢見て頑張ってきた人がこうも簡単に殺されにゃあならんぜよ、絶対に間違ってるぜよ。』
龍馬はしずかに思いました。
そして時代は幕末へとすすんで行くのですが龍馬の龍の化身を思わせる様な活躍はもう少し後、今はまだ充電中です。楽しみですね!

ウエスト店・セミナー部  濱田